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現在本業たる写真機関連を経営陣の暴走から投げ出してしまい、勝てる見込みのない事務機屋勝負に突っ走るミノルタですが、戦後の復興期を支えたのがこの二眼レフでした。
戦前、当時の千代田光学はすでにオートマット機構をミノルタフレックスに搭載していました。オートマットってなんじゃらほいっていう話が出ますが、フィルムをスプールに巻きつけてSTART位置にあわせておけば、あとはカウンター窓の表示を見ながら巻き上げるだけでフィルムの1枚目が分かる、という機構です。当時のブローニー機は赤窓式といって、背面の赤い丸窓から裏紙に書かれた数字を見ながら巻き上げしていたのでした。
minoltacordは当時、ROKKOR搭載の高級路線だったMinoltaflexと対照的に、レンズも旭光学製のPROMAR
sIIIを搭載するなど廉価路線を目指した機体でした。発売された1953年はリコーがリコーフレックス7で廉価多売戦略でバカ売れしていた時期。さすがに27000円前後の定価はリコーのあの8300円という激安価格には及びませんが、MinoltaflexIIbの45000円級という激烈定価から考えるとはるかに安くなったもんでした。
#当時の8300円は今でいう25万前後の価値だったそうな
FlexからCordになって一番変わったのはフォーカシングでしょう。Flexは右側面についたフォーカシングダイアルでの操作というオーソドックスタイルでした。しかしミノルタコードになって、どうやらFlexaretに範をとったらしい、ボディ下部に設置されたレバーによる直進ヘリコイドに変わっています。左手で底から抱えてホールディングしながらフォーカシングし、右手でさらに支えながらレリーズするという芸当がかませますので、平然と1/10s程度のシャッター速度まで落として撮影できます。巻き上げはクランク式になりました。この2つの構造が人気を博し、ロッコール搭載のMinoltacordAutomatを経て、シチズンMXV搭載のAutocordへと発展していきました。
このボディが出たときには私の持ってるシチズンLシャッター搭載機と、精工舎RAPIDシャッター搭載機と2種類出ました。シチズンL搭載機は最高速が1/300sだけどセルフ付き、精工舎ラピッド搭載機は最高速が1/500sだけどセルフ無しです。ちなみにシンクロ接点はF接点のみです。けど普通にX接点のカメラもシンクロしますけどね。巻き上げとシャッターチャージは連動しません。
描写はというとトリプレットらしい写りをします。ただまぁ古い設計のレンズのせいか、F8以上に絞らないと背景がグルグルと凄まじく渦を巻いてしまい、目が回りそうになります。しかしF8あたりからの描写は合焦部分は非常にシャープで立体感にあふれ、ボケ味も結構綺麗です。カラーの発色は適正露出だと淡いめですがアンダー気味に露光すると一気にハイコントラストになります。
出てきたら結構捨て値で出てきますし、絞り込めばトリプレットらしくシャープな描写をしますので、初めての二眼レフにはちょうど良いかもしれません。 |