夏至のレイラインに秘めた結界を追う 5/5
第5章 〜大江元伊勢にて〜
 さて、無事神事も終わり、参道を降りてきました。鳥居の前から南方を眺めるとゆったりと五十鈴川が流れ、丹後地方の盆地に田地が広がっています。飛鳥時代、倭姫が天照大神を祀る場所を捜し求めて各地をさまよい、一度はこの大江に腰を落ち着けたという話があります。多分裏に大江山という、日室岳や皇大神社を見下ろし、そこにヒボコが根城を構えていたという山が無ければ、ふとするとここが伊勢になっていたのかもしれないかも。私は参道から五十鈴川を見下ろしながらそんなことを考えていました。そして私は裏道を綾部に向けてひた走りました。国道173号線に出たところで久しぶりに大原神社へと立ち寄りました。立ち寄った理由は伊弉冊尊と月読尊へ色々私がやらかしてしまったことへのお詫びをし、自分への懺悔をし、そして新たなる誓いをするためでした。色々な思いを交錯させつつ参拝し、国道を一路南へと向かいました。

 大原神社を辞した後は走りなれたR173をいつもより速いペースで駆け抜けていました。結果、昼間なら1時間半ほど掛かる距離を70分前後で帰宅してしまったのはここだけの秘密……、ってこうやってレポートにしてたら秘密じゃありませんね(笑)。途中篠山市内では結構な速度で巡航していたなんて口が裂けてもいえるものではないなぁ。帰宅後に風呂に入って布団に転がると気が付けば翌朝でしたとさ。そしてまた、いつもどおりの怠惰な日常生活に戻っていったのでした。
最終章 〜旅を終えて〜
 さて、本レポートで何度も出てきたレイラインと言う言葉がある。ふと地図を見ていると鉄道や道路がきっちり緯経線上を走っているだとか、複数の神社仏閣をプロットすると幾何学模様を描いているだとか、そういう発見をした人がいるはずだ。その直線をレイラインと呼ぶ。本稿の最初のほうでも軽く説明したが、レイラインというのは各所に散らばる聖地がなぜか、直線状や幾何学図形的に配置されているその線分を言う。

 2004年ごろから私はオフロード系二輪雑誌、「BackOff」に連載を持つ内田氏のサイトに啓蒙を受け、私と私に近しい人々に係わるレイラインを探すようになった。他方、各地に散らばるレイラインにも興味を持つようになった。多くのレイラインは夏至、冬至、春分、秋分という太陽運行にかかわった線を描いている。これは日本古来の信仰が農耕から来る太陽信仰であることに影響が大きいだろう。その太陽信仰と皇室の祖神である天照大神への信仰が結びつき、天照大神が太陽神である、という流れになったものと考えられる。元々「天照」という名はスサノオの三男、オオドシの本名だったが、いつのまにやら神武天皇の祖母である卑弥呼、つまり天照大神の名前になってしまっていた。このあたりはいかにいいかげんに記紀、特に日本書紀が編纂されているか、という表れでもあると私は思っている。要するに当時編纂に関わったものの都合がいいようにすべてが書き換えられている、と。そういうのを省いたとしても日本は古来より農耕民族であり、太陽祭祀を主とする種族だった。だから太陽の運行に関するレイラインが多いのではないかと、私は思うのだ。

 著名なレイラインの中に「御来光の道」というものがある。春分・秋分の日の曙光が差し込む光のライン、それが御来光の道だ。御来光の道は茨城の大洗にある玉前神社を発し、鹿島神宮を通り、寒川神社、富士山頂、伊吹山、竹生島、大江元伊勢皇大神宮、大山、出雲大社と通り過ぎる。どれも名だたる聖地ばかりだ。また今回追い求めたレイラインは夏至の曙光を追い求めるラインでもある。諸兄も一度地図と定規を片手に色々追い求めいてはどうだろうか。どこかにまだ探求されていないレイラインが眠っているかも?

初出:2005年12月
加筆:2006年08月(HTML化にあたり加筆修正)
(C)1998/2005/2006 Takayuki Kazahaya